Previous
2021.01.13 ( Room 48 )
回顧
今回の人物画をきっかけに今までほとんど話したことのない日本画とのかかわ りを書いてみる気になりました。 日展を脱退した人達で作られた白士会の加藤正音先生に絵を習い始めたのは小 学6年。学校の指導とは全く異なる教え方に描くのが楽しくて夢中になりました 。ある日、「今日は展覧会に」と言われ、連れていかれたのは名古屋松坂屋デ パートの前田青邨米寿記念展。日本画展を見た最初でしたがあまりに強い印象を 受けたので、中学生ながら毎日学校帰りに通って案内のお姉さん達にもよく声を かけてもらって説明も受け、本格的に向き合うきっかけとなりました。
前田先生は人物画が描ければ他は何でも描けると言われていましたので今に至る まで私の絵の中心は人物画です。
前田先生の鎌倉のお宅には大学生の時、奥村土牛先生のお宅には何年か後に伺わ せていただきました。奥村先生の娘さんからは今なら会えますと連絡をいただいた のですが、30分後に着いた時にはもう休まれていて、奥様には本当に優しく接して いただき、最高の画家の佇まいを感じました。
後に平山郁夫先生の紹介により前田先生の高弟の月岡栄貴、山中雪人両先生との 交流ができ、お二人とも当時愛知県立芸術大学で教えられていたので私の店に何 度か御来店いただきました。院展のお弟子さん方を連れて来られたことも、お二 人の同級生の横山大観記念館館長と3人で桜の頃 黄不動を見に行かれた帰りにテ ーブル(今も私の店にある大きなテーブル)を囲まれたこともあります。私の自 宅や店では心構えを教わり、先生方のお宅に作品を持って伺った時にはしっかり と直しをもらっていました。
月岡先生は親分肌で、3人でとんかつを召し上がった時には他の先生たちがヒレ カツを注文しても「とんかつはロースに旨味があるんだ」と言っていましたが、 2人は「いえ私はヒレがいいんです」「私も」とやりとりは遠慮なく、とてもほ ほえましく思えました。これは絵についても同様で、下地の金の濃さや本体の配 置について「もっと」とか「ずらせ」等と助言されても「いえ私はこれでいいん です」とかわしていたそうです。
みそかつを運んだ時、月岡先生がまず白米をほおばれ「うまい、名古屋でこんな うまいメシは初めてだ」と言われた後の3人のやりとりは面白く、私の父に伝え ると「分かってくれたか」と本当にうれしそうでした。
ある時、春の院展の会場で3先生方がテーブルを囲んで歓談されていました。ま あ誰も近寄れません。一応挨拶だけでもと近付いたところ、月岡先生が「付いて らっしゃい」と会場内を先導して批評をされます。どこを直したら良いとかを短 い言葉で示唆されながらどんどんいかれ、最高賞を受けていた作品の前では「こ んな絵を描いとっちゃいかんぞ」と強い口調で言われました。私のような若造を 伴って歩く先生に、他の先生、関係者の方々はおそらく「あいつはいったい何者 なんだ」と思っていたことでしょう。
「先生、ではいい絵を教えていただけませんか」と問うと「うーむ、ついてきな さい」と1枚の絵の前に立ち、「素直でいい表現だがこの部分は描かなくてよか った余分だ」と言われ、絵に向かう要点を教えられました。記憶の中ではこの時 が月岡、山中両先生と言葉を交わした最後です。
他にも山中先生宅で奥様の水谷愛子先生に多くのスケッチを見せていただき、院 展会場で本画を見た感想を私の店で月岡先生に伝えるとじっと考えこまれ、「よ し私も認めよう」とはっきり言われたことなど色々な思い出がよぎります。書き 残したやりとりは山ほどありますが・・・

年明けのコロナ宣言騒動や連続大雪の中、それでも来店される常連さんはいます 。ギャラリー正面の4点の少女像は久しぶりに飾った人物画ということもあり、 紙の質感、髪の毛の流れにかなり強い感心を持たれるのかじっくり観られて説明 を聞いていかれます。墨の線と戦うのは楽しいものです。
Next