ローマ郊外、オスチアのホテル学校に通っていた九ヶ月間、私は、自炊生活を楽しむことになりました。
といっても、昼食は学校の授業の中でとり、土・日はレストランで働いていましたので、自分で作るのは平日の昼食のみです。食材だけでなく、生活用品をもとめて最初は大型スーパーへ行っていましたが、慣れるにつれ、専門店で買うことが多くなりました。
野菜はスーパーでパックをした物を選ぶより、八百屋を見て少しずつ紙袋に入れてもらった方が少しはイタリアに慣じんだ気分になり、帰り道の足取りまで違ってくるようです。
温暖なイタリアでは、季節感もはっきりして、野菜も最盛期をすぎるとぐーんと安くなります。もともと肉や野菜は信じられないほど安いのですが、私は、さらに、旬を過ぎたものをあさっていました。
カルチョーフィ(アーティチョーク=朝鮮あざみ)や、フィノッキ(フェンネル=ういきょう)など、めずらしかったこともあって、その季節には毎日のように口にしたものです。
ワインを買うときは、ミネラルウォーター用の大きな空き瓶を持って酒屋(ワイン屋)さんに向かいます。赤白二種類づつの大樽の前で(今日はちょっとぜいたくして1リットル百二十円の白ワインにしようかなあ…。赤もおいしそうだけど…。やっぱりいつもの百円の白でいこう!)。
ハム屋さん、チーズ屋さんなど、日本にはない形態の店にはいるのも楽しいものでしたが、加工されたものは、それなりの値段になります。当時の私にとっては、日常の食事に添えるにはぜいたくすぎてめったに買うことはありませんでした。
この時期、私はずいぶん積極的にイタリアの生活になじんでいきました。
郷里の名古屋の店に必要な食材や店内装飾品をこん包して送ったり、電気屋さんで部品を買いそろえてアパートに証明をつけ、次々と日本画の制作に取り組んでいました。
あの若さにまかせたエネルギーを、今、呼び醒ましたい思いです。
オスチアのカーニバル