自炊生活をしながらホテル学校に通い、土日はレストランで働く。夜は料理書の訳に取り組み、絵の制作をする。…などと並べてしまうと、われながら、まるでがむしゃらにがんばっていたような錯覚をしそうです。
 あのイタリアでの生活が、そんな堅苦しいものであったはずがありません。学校もレストランも、言葉になれてしまえば、窮屈な思いをすることは少なくなっていきます。目的を持って体を動かす中、適量の知識を積み重ねていけるので、精神的にも肉体的にもバランスの良い勉強を続けることができたのです。
 学校ではカメリエーレ(給仕人)とクオコ(料理人)がそれぞれに二組に分かれて交互にサービスと調理をし、昼食をとって解散となるため、平日の午後にはたっぷりと自由な時間がとれます。
私は近くの公園で子供たちをスケッチしたり、ウインドーショッピングをしながら、人と街に触れていました。
 そして海岸沿いを散歩しながらふと気づいたのです。
 ほとんどがカップルで散歩しているイタリア人たちは、年齢に関係なく、私の目からは、本当にゆっくりと歩を進めます。ただそのことが私にはうらやましく、身に付けたいと思いました。
 都会の繁華街を人をすり抜けながら早足で移動していた私にとっては、別世界の光景だったのです。
 歩くスピードを、今までの何分の一かに落とすということは、思ったよりむずかしいことでしたが、意識して歩を進めることを続け、移動の手段としての「歩く」という行為が、私の中でまわりをとりまく、多くのものを感じるという喜びに変わっていきました。
 約1年後、帰国を前に、ヨーロッパをスケッチして回った私は、人種の坩堝(るつぼ)、ロンドンやパリの雑踏の中、私を追い越してゆくひとたちの風を切る音を聞きながら、イタリアの時間の流れはやはり特別だなぁと面白がっていたものです。
ローマののみの市