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大正9年、曾祖父銀治郎が名古屋市中区新栄町に「西洋料理 榮楽亭」の看板を掲げ産声を上げました。 街にはチンチン電車が走り、市の人口は43万人、洋食屋には三幸(みゆき)亭、勝利(しょうり)亭、偕楽(かいらく)亭などと「・・・亭」といわれた時代に、間口一間半で奥行きの深い店は、かつの榮楽、うなぎの寝床、食堂車などの愛称を頂き、二十銭とんかつがご好評を頂いておりました。 戦争の苦しい時代をはさみ近くに移転、2代目信治郎を経て3代目司朗にバトンタッチ。 とんかつを中心に特選洋食を提供する中、昭和44年のフランス、イタリア、スペインを回る3ヶ月におよぶ研修により、西洋料理の原点であるイタリア料理に強く魅せられ、店の奥の一室で始めた「趣味のイタリア料理」は名古屋初の本格イタリア料理として急速に認知されていきました。 |
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アルデンテにゆでたスパゲッティは生だと言われ、粉チーズを使えば粉ミルクが入っていると言われた時代、敢えて「趣味のイタリア料理」としたのは、例え理解されなくても現地で学んだ味をという父の信念でした。 一方、本場の味を知る人々には熱烈な支持を得、まもなく、名古屋在住のイタリア人、エンリコ・カンニン神父により、その小さな部屋にタヴォラ アミーカ(友と囲む食卓)という愛称が与えられました。 |
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数々の縁を重ね、2007年6月、この美咲町に創業当時のような小さな店を開きました。小学生の頃から味わったイタリア料理、4代目として受け継いだ洋食の調理法は、今の日本では伝統というより古典料理と言われるかもしれません。 この地の豊かな食材との出会い、そして人との出会いを楽しみながら、料理を盛った瞬間、お客様に召し上がっていただくより、自分で食べてしまいたいと思える料理を作り続けたいと思います。 |
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